杜の舟型録帳/木工芸・童話・小説

絹子・2

閑脳私小説
六章・絹をお傍に

『先生、
どうぞ絹をお傍に置いてくださいませ。』
そう謂われて悪い気はしないから、電話口からの細い声に
「いつでも来たまえ。」と鷹揚に返事をしておいた。
前にも書いたが、細面で鼻筋の通った絹子は時計技師の娘で
その稼業に似合わずノンビリとしていて、語り口なども
京ことばを聞くように不思議な抑揚と間を持っている。
そんなのが『お傍に・・・。』と謂うのだから内心は踊り
いそいそと、滅多に遣らぬ展示室の掃除などを始める。
そこに、からりと玄関を開けて絹子が入ってきて
『先生、これ。』と、やけに分厚い恋文を渡され
「まあ、上がり給え。」と顎で促しながらも
包みを解くのももどかしく、びりりと上紙を破く。
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「なんだ、個展の案内状ぢゃあないか。」
勘違いを悟られぬように、ぶっきら棒に
「作品は出来ているのかね。」と言葉を返して
やや不機嫌になった顔を見られぬように
奥に引っ込み茶湯など沸かす支度を始める。
『行き詰ってるんです。』そう謂うから
「ものを作る時には物語を紡ぎだす積りでやると良い
ちょうど君の名の「絹」について昔、書いたものがある。」
もうかれこれ8年ば
かり前に、駄彫堂遊印を彫った際
「絹」の文字に合わせて物語を紡ぎだしたのを思い出し
複写して手渡してやった。
『先生、これ。』絹子が生暖かい提げ袋を差し出し
『先生のお好きな、天麩羅。』と屈託なく笑った。
天麩羅と謂っても蒲鉾などの練り物が殊の外の好物で
出た先では、買わずながらも、ついつい天麩羅屋を覗き見る。
*****
何そなの名 〔絹〕   
卵から孵ったばかりの、黒くて毛むくじゃらの
小さな虫が桑の葉を一心に食べています。
二、三日も食べ続けているうちに、蒼い光りに切り取られた
自分の影が次第に大きくなっていくのが気になって
初めて天を仰ぎ見ました。
そこには十六夜の月がこうこうと照りながら雑木林の梢に
掛かっていました。もう月の光が身体中に眩しくてその小さな
虫は月を仰いだまま、黒い外被を一枚脱いで捨てました。
白くたおやかな肌に新しい月の光りが
くんくんと心地よく降り注いできます。
「ああ、気持ちがいいな。まるで光りの匂いを嗅いでいるようだ。」
その言葉に月も喜んで口から蒼銀の粉をさらさら吐き出しました。
けれどもそれから数日もすると、その月も段々痩せてきて
悄々と照るばかり。
あの時の心地よい月の光りがもっと欲しくて
天を見上げながら、もう一枚外被を脱ぎました。
この虫は脱皮の前には、いつもふっと食べるのを止め
天を向きながら僅かな眠りにつくのです。
こんな仕種から天の虫と書いて蚕と呼ばれているのかも知れません。
〔絹〕はそんなお空の虫たちから生まれたから
いつも静かに輝いていられるのでしょう。

こうして四度目の外被を脱ぎ終えた頃には、月も生まれた時のように
随分円く微笑むようになりました。
 月は自分の口から吐き出す霧のような銀光を
ちきちき蚕の上に 注ぎ続けました。
 満月の頃には蚕の身体は、あおい桑の葉と月の色を溶いて
ほんのり透かしたような、まるで淡い草水晶のようです。
 これから蚕は最後の眠りにつく仕度を始めます。
今まで蓄えてきた桑の葉の栄養と月の光りを紡いだ銀の糸を吐き出し
身体を覆う繭の寝床は二日がかりで桑の梢に高く懸けられました。 
 こととんとん。風に揺れた隣の小枝に呼び起されて眠っていた蚕が
繭から顔を出しました。久し振りの外界に伸びをすると
背中に生えた羽がくうっと開いてきました。
それは素敵な銀のマントです。木漏れ日を受けて
億万の燐粉がオパールのように輝いて見えます。
月に見て欲しくて、昇ってくるのを待ちました。
 でもあの時から随分ながく眠っていたらしく、昇ってきた月は
痩せてまるで爪で掻いたようです。
蚕は気の毒になって、これまでのお礼に月の周りで羽ばたいて
銀の燐粉を撒きました。
月は大いに喜んでそれを細い口で紡ぎ始めました。
 その絹のように優しい月の光は夜のあいだ中
まだ目覚めない銀の繭たちに降り注ぎました。
 〔絹〕それがあなたの名前。

********
その日は丹波のM女史から丹波黒豆の枝豆を頂き
天麩羅まで来て、宴会をやってくれと云わんばかりで
どうした弾みか、程なくして瓢箪池のE女史から
ビールの差し入れまで頂いてしまった。
そんなこんなで、お絹が帰った後には
個展の案内状だけが寂しく残されていた。

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